生酛造りのお酒

生酛造りのお酒

以前、お借りした梅津酒造の蔵元つぶやき集に生酛造り(生酛-wikipedia)を登山に例えた一節があった。

速醸酛は靴を履いている状態で、生酛造りは素足。
靴を履いていれば体力さえあれば問題なく登れるが、素足だと木の根や小石に注意を払い路面に合わせて歩かなければならい。
常に相手(路面・酒母)の様子を伺いながら、自分の動きを道に合わせるのが生酛であり、コントロールするのは相手(酒母)でコントロールされるのが自分、という感覚。

生酛は自分中心ではなく相手中心。能動的のようで受動的。
それは自然の摂理に任せるということなのだ。

生酛造りをする酒蔵も自然派ワインの生産者も、自分中心ではなく自然相手の作業だからこそ、原材料の栽培を無農薬無施肥にしたり、常に環境を整えることにより、
造りで極力人為的な介入をしなくて良いことに繋がっているのだろう。

自然の摂理に寄り添うことで、舌先の味わいだけで語るのが憚られるような、豊かで深い味わいが生まれるのだと思う。
不自然なものに慣れてしまっていないか、と問われているようでもある
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